「緋縅力弥 (2代)」の版間の差分

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[[阿武松緑之助|阿武松]]・[[稲妻雷五郎|稲妻]]と並んで「文政の三傑」と称されるほどの人気力士。怪力で知られ、彼の得意手である突っ張り(鉄砲突き)は一時期禁じ手とされた。身長176㎝、体重148㎏。
 
[[阿武松緑之助|阿武松]]・[[稲妻雷五郎|稲妻]]と並んで「文政の三傑」と称されるほどの人気力士。怪力で知られ、彼の得意手である突っ張り(鉄砲突き)は一時期禁じ手とされた。身長176㎝、体重148㎏。
  
山城国生まれ。初め'''錦幸太郎'''と名乗って[[文化 (元号)|文化]]14年(1817年)10月場所新序ノ口として初土俵を踏む。[[文政]]6年(1823年)2月場所で二段目(現在の[[十両]])に昇進。同7年10月、養父の四股名を継いで2代目'''緋縅力弥'''と改名。同8年1月に入幕し、同年10月に大関[[源氏山吉太夫|源氏山]]および[[関脇]]小柳(後の大関[[手柄山繁右エ門|手柄山]])を破って8勝1敗の好成績を残した。同11年10月に関脇に昇進したが、上位に稲妻がいたため長い間関脇のまま留め置かれた。天保4年(1833年)10月、稲妻の不出場を受けて大関に昇進した。大関には2場所在位したが、この間1日も出場していない。天保6年(1835年)に関脇に戻り、翌天保7年8月15日に現役のまま没した。享年37歳。
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山城国生まれ。[[玉垣額之助 (4代)|玉垣]]のもとに入門し、初め'''錦幸太郎'''と名乗って[[文化 (元号)|文化]]14年(1817年)10月場所新序ノ口として初土俵を踏む。[[文政]]6年(1823年)2月場所で二段目(現在の[[十両]])に昇進。同7年10月、養父の四股名を継いで2代目'''緋縅力弥'''と改名。同8年1月に入幕し、同年10月に大関[[源氏山吉太夫|源氏山]]および[[関脇]]小柳(後の大関[[手柄山繁右エ門|手柄山]])を破って8勝1敗の好成績を残した。同11年10月に関脇に昇進したが、上位に稲妻がいたため長い間関脇のまま留め置かれた。天保4年(1833年)10月、稲妻の不出場を受けて大関に昇進した。大関には2場所在位したが、この間1日も出場していない。天保6年(1835年)に関脇に戻り、翌天保7年8月15日に現役のまま没した。享年37歳。
  
 
美男だったため人気も高く、彼の姿は多くの錦絵に描かれた。[[盆栽]]が趣味で、盆栽の目利きにも優れていたといわれる。
 
美男だったため人気も高く、彼の姿は多くの錦絵に描かれた。[[盆栽]]が趣味で、盆栽の目利きにも優れていたといわれる。

2011年10月9日 (日) 19:41時点における最新版

緋縅力弥(ひおどし りきや、寛政11年(1800年)‐天保7年8月15日(1836年))は、江戸時代後期の大相撲力士緋縅力彌とも書く。山城国(現在の京都府)出身。玉垣部屋所属。最高位は大関。初めの本名は不明だが、初代緋縅力弥養子縁組をして森脇幸太郎と改名している。平戸藩のお抱え力士。

阿武松稲妻と並んで「文政の三傑」と称されるほどの人気力士。怪力で知られ、彼の得意手である突っ張り(鉄砲突き)は一時期禁じ手とされた。身長176㎝、体重148㎏。

山城国生まれ。玉垣のもとに入門し、初め錦幸太郎と名乗って文化14年(1817年)10月場所新序ノ口として初土俵を踏む。文政6年(1823年)2月場所で二段目(現在の十両)に昇進。同7年10月、養父の四股名を継いで2代目緋縅力弥と改名。同8年1月に入幕し、同年10月に大関源氏山および関脇小柳(後の大関手柄山)を破って8勝1敗の好成績を残した。同11年10月に関脇に昇進したが、上位に稲妻がいたため長い間関脇のまま留め置かれた。天保4年(1833年)10月、稲妻の不出場を受けて大関に昇進した。大関には2場所在位したが、この間1日も出場していない。天保6年(1835年)に関脇に戻り、翌天保7年8月15日に現役のまま没した。享年37歳。

美男だったため人気も高く、彼の姿は多くの錦絵に描かれた。盆栽が趣味で、盆栽の目利きにも優れていたといわれる。

  • 初土俵:文化14年10月場所新序
  • 入幕:文政8年1月場所
  • 最終場所:天保7年2月場所
  • 幕内優勝:(優勝相当成績2回)
  • 幕内戦歴:88勝29敗54休5分11預1無(20場所)
  • 幕内勝率:0.752

参考文献[編集]

  • 「相撲」編集部編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
  • 日本相撲協会監修『相撲大事典』現代書館、2011年。